2006年05月28日
●酷いトラックバックSPAM
久しぶりに見るとトラックバックSPAMばかり、まったく酷いもんだ・・・
しかたないので、全てのエントリーでトラックバックを受け付けないように変更しました。
2005年09月28日
●恐らく最後の更新
Movable Typeブームからかれこれ、使いやすそうだと思って今まで使ってきました。
しかし、現状動作の重さとかの問題を考えると、はてなの使い勝手に遠く及ばない。
はてなの調子が悪い場合はRandomNoteを使うようにして、こちらは当分更新しないと思います。
2005年09月03日
●重いMTをやめて
RandomNoteというのに変えてみようかと思っている。まちゅダイアリーを参考に
index.rb の改行コードを CRLF から LF に変更
index.rb を index.cgi にリネーム
.htaccess は DirectoryIndex index.cgi のみにする
あたりがXREA設置に重要なようだ。心配なのはおなじRubyエンジンのtdiaryがちょっと前に動かなくなったという事、こちらは大丈夫だろうか。
ローカルから更新するためのツールのRandoraや、Windows環境でRubyを動かすActiveScriptRubyなんかも活用したい。
2005年08月28日
●嫌韓と中国批判
私は中国に2001年に行き、韓国には今年行きました。
どちらの国も行ってみて、文化的にも人物的にも日本に近い国ということを実感しました。
しかし最近、本屋に行くと嫌韓だの中国批判という本が増えてきています。マスコミであれだけ反日行動が報道されればまあある意味仕方が無いのかもしれないのですが、それにつられやたらあちらのニュースを論っているブログの増大には霹靂させられています。
疑問に思うのですけど、こうした行動ってあの反日行動と差があるのかという事なんですよね。具体的な例示しているだけだから、そんなこと言われる筋合いは無い? いやいや、私から見ればどちらも批判する相手を実在する人間と思っていない行動としか見えません。嫌韓流という本がAmazonでトップセールとなっているようです。私も見ましたが、本文最後にある冬のソナタへのアンチテーゼとして書いてある文。
「作品を素直に楽しめればいい」という態度自体は間違っていないが
そのためにイメージ操作が行われている可能性は留意した上でなければならない!!
というのはこの本自体にもあてはまるように感じます、今の嫌韓流本のブームこそその切り分けができていないんじゃないかと、異常なブログの大量発生を見て思わざるを得ないのです。
正確な歴史認識というのは、日本も韓国も中国もこれまできちんとなされてきていません。日本の戦後教育が、戦争への反省から自虐史観で歪められた点があることは間違いないでしょう。韓国は第二次大戦後も南北で争いが続き、その後も軍事政権時代が長かったのですから、日本よりも言論の歪みは大きい。それは私自身が両国に行って短いながらも交流してきて、韓国や中国のことを学んで実感することです。相手の国の人間を見て、何が両国に足らないのか。これからどういうことが必要になるのかを多くの方に考えてもらいたい、それには本を読むばかりでなく直接相手の国の人と話をして欲しいと思います。
見てない本を批判している人を私は信用できません、同じように相手の国の人と話ししたことも無いのに批判してしまう人も私は信用できません。具体的事例があれば批判できると勘違いしてしまうことは無いだろうか、自分も気をつけなければならないなと思っています。
2005年08月20日
●電波男あれこれ2
あれから更にいろいろとブログや何やらと読んでいくと、面白いことに共感できる意見とできない意見と結構はっきり見えてきました。
とりあえず本の感想は置いておいて、自分として何が問題なのかというと今のところ「いいものは良いと素直に認められるかどうか」なのかなと。綺麗と思う・痛い・悪い・気持ちが良いなどなど、感情的な部分ってことに男性は意識しないでも済んでしまうものであったりしますが、そのへん女性は月のものとかもありますからそうもいかないですよね。
(このへんフェミの方からは、差別発言と取られるかもしれませんが・・・)
その辺が素直に受け取れる良さとして、今の非モテが強調して主張している女性優位社会の到達した位置なんじゃないかなと思うのです。私の場合は年少の頃からそういう自分の感情というのは、常に二の次の存在として自分の中に置きつづけてきました。その辺の問題はまたの機会にでも。
まあとりあえず自分自身の問題解決としては今のところ、良いと思った人の真似でもしてみるかなというところですか。そうして自分にとって良い・悪いというところを育てないと、どうもいかんのではないかと思いつつある今日この頃です。
2005年08月19日
●ルサンチマンと言葉の定義
電波男について感想を書こうと思いましたが、もうすでに結構いろいろなところで言及されつくしている感があるので止めました。
興味のある方は、電波男まとめWikiの感想リンク集など参考にしてください。
すこし感想リンクを辿ってみたのですけど、やっぱ女性の視点って少ないですね。しかし、女性の感想ブログに喪男が乗り込んでコメントしていたりして、Kammy+氏のブログでされたようなことが繰り返されてる感じがいかんとも。
「非モテ」や「オタク」や「キモメン」というのが、人それぞれで捕らえ方が違っているからなんですかね。なんか共感できる部分はあるはずなのに、こう非難の応酬になりがちになっているのが見ていて悲しい感じがします。まあこういう議論を重ねることでそれらの語句の意味付けができるのかもしれないのかなと、淡い期待を持っていたりしますけど。って理想論過ぎますかね?
●電波男あれこれ
電波男はこの間出張に行く際に電車の中で読んだので、いろいろと感想はあるのですが簡単にまとまりそうにないのでまた機会があれば。。。
で、最近気になったこと。知り合いの女性なのですが、この人が事あるごとに「それはセクハラ」と言ってきます。なんだかわかりませんが、私から見るととにかく自分に不愉快な出来事は全て「セクハラ」と断じているように感じてなりません。
女性にとって反論不可な便利な言葉になっているように感じているのですが、同じように感じているかたもいらっしゃるようで。「セクハラ?」と題したこちらの記事。
『セクハラ』という言葉の武器を手に入れた女性が、ここぞとばかりにそれを振りかざしている、という印象がある。 女性の地位がどうとか、平等がどうとか、そんなことは関係ない。ただ自分にとって『都合がいいかどうか』だけで(これは、自分に不利なことがあると女性差別だ何だと騒ぐくせに、女性割引なんかだと黙って受け入れちゃうという人の感じに似ている)。 それは性以前の、人間対人間のコミュニケーションすらも放棄しているということだ。 それではあまりに、情けなくないか。
なんかこれ読んでいると、上野千鶴子氏が言っていた「コミュニケーションスキルを磨け」と被ってしまうのですが。でもなんかホンとに男性だけがコミュニケーションに問題があるのかと思ってしまう一例。まあ、女性が一度この男は「キモイ」と感じた相手になると、何やっても「セクハラ」で済んでしまうということに疑問を感じることってありませんか?
上記とはちょっと別件になりますが、最近2針男というのが某所で注目されているようだ。内容は見てもらいたいが、電波男を見たあとで読むとショック倍増することウケアイデス。。。