2005年08月19日
●ルサンチマンと言葉の定義
電波男について感想を書こうと思いましたが、もうすでに結構いろいろなところで言及されつくしている感があるので止めました。
興味のある方は、電波男まとめWikiの感想リンク集など参考にしてください。
すこし感想リンクを辿ってみたのですけど、やっぱ女性の視点って少ないですね。しかし、女性の感想ブログに喪男が乗り込んでコメントしていたりして、Kammy+氏のブログでされたようなことが繰り返されてる感じがいかんとも。
「非モテ」や「オタク」や「キモメン」というのが、人それぞれで捕らえ方が違っているからなんですかね。なんか共感できる部分はあるはずなのに、こう非難の応酬になりがちになっているのが見ていて悲しい感じがします。まあこういう議論を重ねることでそれらの語句の意味付けができるのかもしれないのかなと、淡い期待を持っていたりしますけど。って理想論過ぎますかね?
●電波男あれこれ
電波男はこの間出張に行く際に電車の中で読んだので、いろいろと感想はあるのですが簡単にまとまりそうにないのでまた機会があれば。。。
で、最近気になったこと。知り合いの女性なのですが、この人が事あるごとに「それはセクハラ」と言ってきます。なんだかわかりませんが、私から見るととにかく自分に不愉快な出来事は全て「セクハラ」と断じているように感じてなりません。
女性にとって反論不可な便利な言葉になっているように感じているのですが、同じように感じているかたもいらっしゃるようで。「セクハラ?」と題したこちらの記事。
『セクハラ』という言葉の武器を手に入れた女性が、ここぞとばかりにそれを振りかざしている、という印象がある。 女性の地位がどうとか、平等がどうとか、そんなことは関係ない。ただ自分にとって『都合がいいかどうか』だけで(これは、自分に不利なことがあると女性差別だ何だと騒ぐくせに、女性割引なんかだと黙って受け入れちゃうという人の感じに似ている)。 それは性以前の、人間対人間のコミュニケーションすらも放棄しているということだ。 それではあまりに、情けなくないか。
なんかこれ読んでいると、上野千鶴子氏が言っていた「コミュニケーションスキルを磨け」と被ってしまうのですが。でもなんかホンとに男性だけがコミュニケーションに問題があるのかと思ってしまう一例。まあ、女性が一度この男は「キモイ」と感じた相手になると、何やっても「セクハラ」で済んでしまうということに疑問を感じることってありませんか?
上記とはちょっと別件になりますが、最近2針男というのが某所で注目されているようだ。内容は見てもらいたいが、電波男を見たあとで読むとショック倍増することウケアイデス。。。